7月2日(日)当スタジオで
このイベントを企画して 開催したいと強く思った
茶田勉さんの
FBの投稿です。
みなさまにも
ご一読いただけましたら 幸いです。
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ゆきみへの思い…
私には三人のかわいい娘がいます。
かわいいと言ってもすでに長女と次女は結婚し、子供も授かり、妻として、母として頑張っておりますが…
ここではゆきみへの思いを書かせていただきますが、長女あゆみ、そして次女なつみ、三女ゆきみとみんな同じようにかけがえのない大切な娘たちであることに変わりはございませんのでご承知のほど…(笑)
三女ゆきみは小学4年の春、4月20日に突然学校にいるときに原因不明の横断性脊髄炎という病気で下半身麻痺というハンデを背負うことになりました。
もしかしたら最初の医師の処置が悪ければ命がなかったかもしれないと言われていますが、おかげさまで今年29歳になる今もゆきみは元気に生きています^^
最初は一時的な麻痺で、きっとすぐに治るのだと誰もが信じて疑わなかったのですが、静岡の子供病院に移ってから2か月も経つか経たないかのころに担当医から麻痺が治らないと宣告されました。
歩けることが当たり前だと思っていた私はゆきみの絶望感を考えると苦しくて仕方がないものの、ハンデを背負っても生きている人がたくさんいるのだから…
ゆきみもそれを受け入れて生きていかなければならないのだから…
父親として前向きに生きていくことを身をもって伝えていかなければいけないのだと自分に言い聞かせ、前向きになれるようにという思いをいつも心に置きながらゆきみと接していたように思います。
しかし、その頃の自分はそのように思いながら娘たちと向き合うことが自分自身に無理をしていたようで、実は誰よりも苦しくて泣きたくてどうしようもなく弱いことを隠すのに精いっぱい意地を張っていたようでした(;^ω^)
誰よりも苦しいのはゆきみのはずなのに、悲劇のヒーローにならないようにと強がる外見をよそに心の中では誰かにいつも助けを求めていた弱い父親だったのです。
そんな独りよがりで弱虫の私があゆみとなつみに気づかされるのです。
ゆきみに気づかいしているように見せていることは実は一番ゆきみを傷つけているのだということを…
ゆきみができなくなったことをかわいそうだと思って、本来なら普通にできることを我慢したり、遠慮したりすることがどれだけゆきみをつらくさせたことか…
「私が歩けなくなったせいで家族がやりたいことをやめたり我慢したりする…私のせいで…」
そして毎日静岡の病院に通う当時の妻はやはり母は強しで、どんなことがあってもゆきみのためになることならなんだってやるという思いで毎日泣きながら帰ってきても、毎日ゆきみのところへ足を運んでくれました。
そしてたくさんの友人や家族、親戚、いろんな方々の気持ちと支えをいただき、紆余曲折、山あり谷あり、いろんなことを経験して今があります。
そう、今私たちはおかげさまでゆきみの夢への頑張る姿をこうして応援し、一緒に夢を見させてもらえるまでになっています。
そして私はゆきみのためにも何をやるにも自分が一生懸命楽しみながらやることにし、人と向き合うときも相手のことを一生懸命思い、感謝しながらお付き合いさせていただくようになりました。
ずいぶん端折りましたが(笑)
女房と訳あって別れてからも私の見えないところでゆきみは母親にも支えてもらいながら生きてきました。
そしてあゆみ、なつみが大学、結婚と家を出てからは私とゆきみの二人暮らしが長く続きました。
嫌なことや気に入らないことがあれば口をきいてくれなくなったり、年に2~3回は入院生活をしたり、それでも二人しかいないからお互いにどこかで頼りにしあって一緒に出掛けたり、親子で恋愛話もしたり、ある友人からは「二人で話していると親子というより恋人同士みたいな会話だよね(笑)」なんて言われるほどどこにでもある父親と娘の関係とは違った不思議な関係だったようです(;^ω^)
昨年春、東京で一人暮らしをしながら卓球に専念するというチャンスをいただき心の底から嬉しく思いました。
お互いに一人になると話す相手がいなくて寂しくもありましたが、ゆきみには大きな夢があり、私はその夢を一緒に見たいという夢があったから寂しいよりもつらいよりもワクワクが大きいのかもしれません。
いまではなかなかゆっくり会う機会もないけれど、それぐらいお互いが充実していると思えばうれしい限りです。
ゆきみがハンデを背負って頑張って生きてきたおかげで私はたくさんの大切なご縁をいただいたことも今に大きくつながっています。
そして私のご縁が今またゆきみを支える大きな力になってくれています。
私がバカ親父なりにこれまでのご縁からできた趣味のようなもので(歌唄い)娘の応援資金稼ぎもかねてオリジナルの曲でCDを作ってしまうということもこれまでの人とのかかわりがなければできなかったこと…
生きることをあきらめそうになったこともあったけど、だれよりもがきながらも頑張って生きてきたゆきみを見てきたからこそ、私は親バカと言われようとも自分の出来る形で応援し続けていきたい。
そしてゆきみがこれから生きていくうえで大切に思える人と出会い、共に歩んでいく姿を見守れたら私は大きな役割をひとつ終えるのだろうと思います。
いつもうしろから車椅子を押しながらゆきみと話をしてきたけれど、大切な人へつなぐために歩く道は腕を組んで歩きたい…
ゆきみの東京パラリンピックへの夢が実現できるように今は一生懸命だけど、その次の夢はささやかだけれど私にはそんな夢があります。
6月6日ゆきみの20代最後の誕生日にCDを発売するにあたり、私のことをよく知っている方にもそうでない方にもあらためて私の思いを整理してお伝えしようと思いこんな話をだらだらと書かせていただきました(;^_^A
もしよかったらゆきみを一緒に応援していただけたら嬉しく思います。
茶田 勉
ホームページに載せるにあたり ご本人の許可はいただいております。
staff mayumi